

次の文章は、とあるベルギアの学者が執筆した評論文の一部である。
エルフとしてこの地に生まれた者にとって、魔法は空気や水と同列で自然なものである。多少の個人差はあるものの、それはさしたる問題ではない。私をはじめ、この種として生を受けた瞬間から、魔法は我々の一部であり、我々は魔法とともに生きているのだ。ベルギア王国・フロリスに所在地を置くアルカナ学院は、約千年もの昔より世界中から魔法を学びたいと願う者たちが集う学び舎であった。
しかし、多種多様な人種が集う現代、彼らに魔法を扱わせることが本当に正しいことなのか、私は時折疑問に思う。
なぜなら、(誰もが心の底ではわかっていることだが)魔法は、ただ便利な道具というわけではない。魔法とは強大な力であり、それは必ずしも善意だけで行使されるものではないのだ。この長い歴史の中で魔法を悪用し、災厄をもたらしたのは常にエルフ以外の者たちだった。あえて公言するが、混血をエルフとみなさないのは至極当然のことだ。
他種族との交わりによって純血が薄まり、ハーフエルフという呼称が一般化していることからも、それは明らかである。
「エルフでない者の使う魔法は、魔法ではなく邪法である」——これは、かつて賢者ドヘンケンが口にした言葉である。些か誇張的ではあるものの、決して否定されるべき意見ではないと私は考える。
西方のマジスタ王国が魔法の力を軍事利用し、ペルベヌア諸島を始めとした国際諸国へ不穏な働きかけを行っていたことは記憶に新しい。それまで長らく保たれていた平和が脅かされたのは、世の中を便利にするための技術革新によって、魔法の伝播が多民族にまで及んだ結果の弊害である。
彼らは諸国を蹂躙しようとした。もともと純血の魔法の系譜を持たぬ彼らは、最大限に力を増幅させる術を発掘し、国の力を急速に増強することに成功していた。
最初は「技術発展のための研究」、次は「戦争抑止のための武力」——彼らの破壊的魔法学に対する言い訳は多岐に渡ったが、結局のところその力は暴走し、美しかった石畳に血を吸わせた。
彼らは「平和のため」と称しながらも、結局は自らの領土拡大と支配のために魔法を利用したのである。その鎮圧に動いたのがアストラヴェールであった。
アストラヴェールは結果として世界の平和を守る役割を果たしたが、同時に領土を拡大したのもまた事実である。国民の間では英雄視されているが、戦火の後にさらなる国土を得たという現実は変わらない。
そのアストラヴェールも、約千年前に執筆されたベルギアの文献には、好意的に描かれていることがある。我々エルフにとって千年という歳月はそれほど昔のことではないが、短命種の多い彼らにとっては、一千年とは永遠のようなものなのかもしれない。過去の者がアストラヴェールに何を見出し、彼らをどう評価していたのかが判明した時、未来で起こり得る困難に立ち向かう鍵となるのではないかと考えている。
さて、ここまで読み込んだ者達に一声かけよう。君たちが求めているのは次の段階へ進む方法だ。この冗長な文書をなぜ公開しているか、その意図を汲んだ者だけを、エーレの仕掛け人達は歓迎したいと考えている。
ベルギアの歴史学者サベッツはこう語った。「魔法を武力として利用することは、秩序の破壊に繋がるのは言うまでもなく、これを制御しうるのは、高貴なる血統を持つ者のみだ」彼の言葉に私は全面的に同意している。実際、ベルギアの由緒正しき国民たちは、このような魔法の乱用がもたらす脅威を何よりも恐れている。
我々にとって、魔法は生活の一部であり、秩序を守るためのものだ。それが無秩序に拡散し、正しくない使い方が広まれば、この世界の均衡は崩れ去る。マジスタの惨劇を思い出せば、西方に魔法を伝えることがいかに危険かは明白だ。
北方は西方よりも魔法に縁が深いが、小さな国が興っては併合を繰り返している状況を見るに、安定しているとは言い難い。
先に述べた「冗長な文書」に関して補足すると、この世界の歯車になり得る人材として、新たな知識に対する意欲的な姿勢と、ある程度の忍耐力が求められている。この文書の上部もしくは下部(これは『環境』によって異なるものだが)に、英字が羅列されている箱があり、その内容は君たちが自由に書き換えることができる。これを『石碑』と呼ぶこととし、次の段落でも言及する。
正直に言えば、エルフの血を引かない者たちを全面的に信用することは難しい。我々が長きにわたって築き上げてきた魔法の体系を、彼らはどこまで正しく理解し、制御できるというのか。
魔法乱用の可能性は、エルフの血を引かない者たちだけに起こり得るものではない。貧しき者は怒りを宿す。それは比喩ではなく、歴史が証明してきた事実である。
生活が厳しくなれば、人はより攻撃的になり、力を持てばそれを暴力の手段として使おうとする。彼らが手にする魔法は、秩序を維持するためのものではなく、権力を得るための武器と化す可能性が高いのだ。君たちが次に進むために、石碑の末尾には私の名前を付け加えてほしい。
魔法とは学問であり、武力でもあるからこそ、学ぶ者に責任が伴う。だが、すでに魔法の拡散は止めることができぬほどに広がり、川の流れが堰を越え、やがて大海に至るように、魔法は世界の隅々にまで浸透しつつある。
人は流れに逆らうことはできず、選ばれし者のみが魔法を手にするべきだという理は、今や歪み、崩れ去ろうとしている。ならば、我々に求められるのは、選ばれし者だけがこの尊き力に触れるべきだという思想ではなく、その力を正しく理解し、秩序を保つ術を探ることであろう。
大魔法使いギヨームが学院を設立したとき、彼がこの未来を予見していたかどうかは知る由もない。学院の門戸を開き続けることは、我々が未来へ進むための大切な道なのかもしれない。
筆者
サイヨー(Saiyo)